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デニデザイナー
林氏のこだわり
国産デニム
RESOLUTE

DESIGNER

林 芳亨(はやし よしゆき)
1956年生まれ。ジーンズデザイナー。
青年期に抱いたLevi’sへの憧れから、大学卒業後、ジーンズ業界に入る。独学でジーンズ作りを学び、1988年、DENIME設立にあたってデザイナーとして参加。ジーンズにかける愛情と深いこだわりで、日本における空前のレプリカジーンズ・ブームを牽引する存在となる。DENIME退社後、あらためてジーパンの理想を追求するべく、2010年RESOLUTEをスタートさせる。「自分のジーパンは洋服ではなく、いわば道具。何年経っても同じ物が手に入る、理想のスタンダードを創りたい」がモットー。ジーパン創りにも通じるブレないキャラクターにファンは多い。

CONCEPT

ジーパンを作り始めて30年以上。デザイナー林にとっては、ずっとLevi’s 501が憧れだった。DENIMEのデザイナーとして成功し、1990年代には一世を風靡したが、穿きたいジーパンは1970年代のLevi’s 501の66 モデルだった。あの頃のLevi’sのようなジーパンが作りたい。RESOLUTEのスタートはその想いからだったと言ってもいいだろう。裾を切らないで穿けるように、ウェストとレングスのサイズが豊富にあって、何年経っても変わることのないスタンダードなジーパンが林の理想だった。

ヴィンテージジーンズ・ブーム全盛期は、ヴィンテージをそのまま穿くことが格好良いとされていた。しかし、現代ファッションに不可欠な要素は、シルエットだと林は考える。

Levi’sを穿いたアメリカ人は格好良いが、日本人が穿いても同じようには見えない。日本人が穿いてもアメリカ人が穿いているように見えるには、日本人の体型に合ったジーパンを作る以外にない。そう思った林は、何度も何度もパターンを起こして、日本人の体型に合うシルエットを完成させた。代表的モデルの710は、いまや87サイズにも及ぶ。ここまでサイズを揃えたジーパンは、現在では世界中で唯一と言えるかもしれない。

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MADE IN JAPAN

世界的にも評価が高い日本製のジーンズ。その産地は、岡山県と広島県にまたがる備後地方だ。RESOLUTEの織場は岡山県井原市にあるシンヤ株式会社。旧式の力織機がいまなお現役で稼働する、海外からの生産依頼が引きも切らない国内屈指の生地メーカーだ。

デザイナー林のDENIME時代からのパートナーでもある。ここではRESOLUTE専用の織機が用意されており、盛夏を除いた四季を通して、安定した品質の生地が織り上がるよう熟練の職人がメンテナンスを欠かさない。その生地を使って、理想的なシルエットに縫い上げるのは、岡山県新見市にある縫製工場、新見ソーイングセンター。ここは、かつてLevi’s Japanの指定工場だった。縫製工程別に細かく設定されたミシンでRESOLUTEはパーツごとに縫われていく。慣れた手つきで、リズムを刻むが如く縫われていく様は実に小気味よい。

デザイナー林をして「ここやないとRESOLUTEの顔にならん」と言わしめるほど信頼も厚く、ポケットのスレキに縫い込まれたギャランティがその品質の証しだ。ここでの縫製の後、島根県の加工場で洗い、乾燥機にかけられてRESOLUTEは仕上げられる。

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MADE IN JAPAN

世界的にも評価が高い日本製のジーンズ。その産地は、岡山県と広島県にまたがる備後地方だ。RESOLUTEの織場は岡山県井原市にあるシンヤ株式会社。旧式の力織機がいまなお現役で稼働する、海外からの生産依頼が引きも切らない国内屈指の生地メーカーだ。

デザイナー林のDENIME時代からのパートナーでもある。ここではRESOLUTE専用の織機が用意されており、盛夏を除いた四季を通して、安定した品質の生地が織り上がるよう熟練の職人がメンテナンスを欠かさない。その生地を使って、理想的なシルエットに縫い上げるのは、岡山県新見市にある縫製工場、新見ソーイングセンター。ここは、かつてLevi’s Japanの指定工場だった。縫製工程別に細かく設定されたミシンでRESOLUTEはパーツごとに縫われていく。慣れた手つきで、リズムを刻むが如く縫われていく様は実に小気味よい。

デザイナー林をして「ここやないとRESOLUTEの顔にならん」と言わしめるほど信頼も厚く、ポケットのスレキに縫い込まれたギャランティがその品質の証しだ。ここでの縫製の後、島根県の加工場で洗い、乾燥機にかけられてRESOLUTEは仕上げられる。

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